変形性股関節症と正しく向き合う会代表理事の井口です。
今日は、少し私自身のこれまでのお話をしてみようと思います。
というのも、このブログでお伝えしている変形性股関節症との向き合い方は、全て私の過去の実体験から来ているものだからです。
つまり、私自身のこれまでのお話を知った上でブログの内容を見ていただくことで、より内容が理解しやすくなるのではないかと考えたのです。
私個人の過去のお話なので、興味がある方だけご覧下さい。
大学卒業後
私は、観光関連事業の大手の会社に就職し、2年間OLとして働いていました。
中学生の頃から親戚が経営する旅館でアルバイト三昧。
大学生の頃までほとんど休みなく仕事をしていた私にとって、社会人になってからの就職生活では、他の社員の方とは違い、仕事の面白さを感じることができませんでした。
結局、その会社は2年で退職。
縁あって結婚が決まり、夫の企業留学とともにアメリカのシカゴへ行くことになりました。
シカゴでの生活
皆さまは、シカゴについてどんなイメージをお持ちでしょうか。
シカゴといえば「ギャングの街」。
そんなふうにイメージされた方も多いと思います。
私の住んでいた場所はそんなシカゴの海側。
ワシントンパークの東にある、シカゴ大学構内にある夫婦寮でした。
築100年以上経った少し広めのマンション風の建物です。
ご存知の方もいらっしゃるかも知れませんが、シカゴ大学は黒人街の中にあり、その周辺にはスラム街があります。
そのため、アメリカの景気が悪くなると、スラム街の黒人が大学周辺にも出現することが多々ありました。
私達夫婦が住んでいたマンションの側でも、窃盗事件は日常茶飯事。
夜になると路上に停められた車からカーステレオが盗まれる事件などが頻発していました。
ただ、幸いなことに私自身は犯罪に巻き込まれることはもちろん、怖い目にあうことも一度もありませんでした。
それどころか、1年半のシカゴでの生活は、私の人生を180度変えるきっかけとなったのです。
「由紀子、普段は何をしているの?」
ある日、夫の友人達と日本食レストランで食事をする機会がありました。
そこで、カナダ国籍のジョーさんから尋ねられたのです。
「由紀子、普段は何をしているの?」
私はこれまで通り「専業主婦をしています。」と答えました。
ところが、次のジョーさんの言葉が、私のアイデンティティーを揺るがしたのです。
「由紀子、それは違うよ。
例えば、ボランティア活動をしているとか。
専業主婦でも、何か自分自身の活動として取り組んでいることがあるでしょう?」
その言葉は、私にとって大変なショックでした。
自分は「専業主婦」。
そういう「家庭での妻としての立場」でのみ、自分自身を認識していた。
「私自身は、何をしている人なのか?」という視点で自分を認識していなかった。
”個人”という概念が確立しているアメリカであったからこそ気づいた視点です。
それ以来、私は自分探しをするようになりました。
自分はこれからどのようにして生きていくのかを考えるようになったのです。
アメリカ、シカゴでの生活。
ここで、私は「自分に何ができるのか?」という問いを考える機会に巡り合ったのです。
この経験は、今の私を形作る基礎、土台になったと思っています。
少し長くなってしまったので
その後日本に帰ってどうしたかについては、また次回お話ししたいと思います。
興味があればご覧ください。