変形性股関節症と正しく向き合う会の代表理事、井口です。
「このまま変形性股関節症が進んだら、私どうなってしまうんだろう?」
特に、変形性股関節症になってしまった直後の方や、進行期で股関節痛がひどくなってきた方にとっては、切実な疑問です。
今日は、そんな方のために、変形性股関節症の「末期」がどんな状態なのか、私の実体験を様々な視点で、思いつくままに箇条書き形式でまとめてみました。
変形性股関節症に悩む全ての方にご覧いただき、少しでも不安を減らす助けになることを願っています。
日常生活の視点
・とにかく、歩くと直ぐに太ももの外側が痛くなります。
自宅から最寄り駅まで3~4分がとにかく遠い。
途中で休憩を入れないと歩くことができませんでした。
・重い荷物は持てないので、いつもリュックを背負っていました。
・歩く度に、体が左に傾くので、だれが見ても足が悪い人だと分かったと思います。
・杖をつくのが恥ずかしくて、杖傘を使っていました。
・買い物は、家族の協力のもと、週に1~2回、スーパーでまとめ買いをしていました。
足らない分は外出時に駅近の店で調達していました。
・掃除はロボット掃除機を使いました。
・洗濯は洗濯機に任せていました。
ただ、物干しハンガーに洗濯物をかける干し作業は、自分で行っていました。
もちろん、折りたたみ椅子に座わって休憩をいれながらですが。
・食事作りや食器洗いも、休憩を入れながらですが何とか一人でこなしていました。
・股関節の痛みへの対処で、冬の寒い時期はスパッツの上からカイロを貼っていました。
太ももの外側と左腰に自分で作ったアロマクリームを塗ってケアしていました。
・外出時には、直ぐに太ももの外側が痛くなりました。
そのため、トイレを探しては、クリームを塗り、痛みに耐えていました。
・JRはいいのですが、地下鉄はエスカレーターやエレベーターが少ないです。
そのため、仕方なく階段を利用していました。
ただ、両足を交互に出すことができなかったため、右足だけで階段を上っていました。
・階段を降りる時には、手すりに使用しながら両足を使って降りることはできていました。
仕事の視点
・仕事で外出する場合には、電車で必ず座るようにしていました。
乗車駅から1駅ぐらいでしたら、何とか我慢して立っていることは可能でした。
・事前に訪問先のオフィスの場所を詳しく調べました。
最寄り駅から徒歩でどれくらいかかるのかを毎回チェックしていました。
3~4分以内なら歩きましたが、5分以上かかる場合は必ずタクシーを利用していました。
・仕事で外出する場合、30分以上時間に余裕を持ってスケジュールを組んでいました。
・常に万歩計を装着して、股関節日記を記録していました。
その結果、私の1日の限界歩数は、6,000歩だということが分かりました。
仕事のスケジュールは、その数字をもとに組み立てていました。
・1日外出したら、翌日は外出の仕事は控えて、股関節を休ませるようにしていました。
気持ちの視点
・末期になると股関節の痛みもひどくなり、物事を前向きに捉えることができませんでした。
簡単に言えば、先の不安ばかりがつのって、笑うことさえも忘れてしまっていました。
・その中で、仕事だけは辞めずに何とか頑張っていこうと思っていました。
「こんなにつらい思いをしているのだから、回復したなら絶対にこの経験を活かそう!」
と強く思っていました。
・気持ちを明るくするために、様々なことに取り組みました。
・ 日本代表のサッカーを含めてテレビのスポーツ観戦
・ ビジネスで成功している人の本を読む
・ 成功している人の言葉をメモにして読み返す
・綾小路きみまろさんのビデオを鑑賞する
・特に、末期は今後の仕事をどうするのかを考える時期でした。
当時の私が出した結論は、
「このままの状態を続けていても無駄に時間を過ごすだけになる」
ということ。
「一番輝く50代の大切な時間をなるべく早く取り戻す。
そして、大好きな仕事にすぐにでも戻る!」
と強く決意したのを覚えています。
・仕事復帰の大前提となる手術に向けて、医者探しを本格化させた時期でもありました。
そこで得た様々な知恵は
「変形性股関節症-あなたの主治医を決める8つの質問」
「この医者で間違いない!」主治医選びの判断を裏付けるたった1つの質問」
などにまとめておりますので、興味があればご覧ください。
今ではこのときの決意を一つずつ実現できています
あなたの不安を軽くするために、この記事が少しでもお役に立てれば幸いです。