変形性股関節症と正しく向き合う会の代表理事、井口です。
私の心に響いた言葉があります
僕は愚痴を言わないようにしている。
愚痴というのは、一時的な感情のはけ口になってストレス解消になるかもしれないけれど、あまりに安易な解決策だ。
何も生み出さないし、まわりで聞いている人の気分もよくない。
愚痴で憂さ晴らしをするのは自分の問題点と向き合うことから逃げるのと同じ。
変形性股関節症と正しく向き合う会の代表理事、井口です。
僕は愚痴を言わないようにしている。
愚痴というのは、一時的な感情のはけ口になってストレス解消になるかもしれないけれど、あまりに安易な解決策だ。
何も生み出さないし、まわりで聞いている人の気分もよくない。
愚痴で憂さ晴らしをするのは自分の問題点と向き合うことから逃げるのと同じ。
変形性股関節症と正しく向き合う会の代表理事、井口です。
変形性股関節症の患者にとって、リハビリと股関節ケアの両輪を継続することは本当に大事。
ただ、実際のイメージがわかない方もいらっしゃるかも知れません。
そこで今日は、変形性股関節症で両股関節を人工股関節にした私が日々どのようなトレーニングと体のケアをしているのかをお伝えします。
リハビリと股関節ケアを継続して取り組む方が一人でも増えることを願ってまとめました。
ぜひご覧下さい。
変形性股関節症と正しく向き合う会の代表理事、井口です。
保存療法中であっても適切なリハビリ指導を受けている人が非常に少ないことに驚かされます。
それは、昨年の日本股関節学術集会での医療サイドから出てきた話からも理解できます。
変形性股関節症と正しく向き合う会の代表理事、井口です。
GW真っ最中、いかがお過ごしでしょうか。
変形性股関節症で股関節の痛みがひどくなると気持ちも落ち込みがちになりますが、折角のお休みは少しでも気持ちを明るくしたいですね。
そこで今日は”気持ちを明るくする”ことに焦点を当てて過去の記事をまとめてみました。
皆さんにぜひ読んでいただきたい記事ばかりです。
どうぞご覧ください。
変形性股関節症と正しく向き合う会の代表理事、井口です。
テーマは、「ツラい体の痛みを和らげるための“正しい運動”の話」です。
このテーマで開催するのは、今回で2回目。
今回は、10年間で患者数25,000人の治療実績のあるベテラン柔道整復師を講師にお迎えします。
さらに、参加された方の個別の病状に合わせた“正しい運動”のやり方を具体的にお伝えする個別指導も行います。
そんな”運動”をテーマにした特別セミナー。
今日は、なぜそんなセミナーをやろうと思ったかをお伝えしようと思います。
「正しく運動すれば、股関節の痛みは軽くなる」
このフレーズにピンときた方は、ぜひご覧ください。
変形性股関節症と正しく向き合う会の代表理事、井口です。
股関節に違和感があり病院に行く。
医者から変形性股関節症と診断され、
「いずれ手術を検討した方がよいですが、しばらくは保存療法で様子を見ましょう。」
と言われる。
医師からの手術という言葉に大きなショックを受けつつ、言われるままに保存療法を開始。
いつ手術をするのか、それとも保存療法を継続するのか迷いながら不安な日々を過ごしていく。
よくある変形性股関節症患者のケースです。
ただ、保存療法か手術かという重要な判断をする際、一つ考えてほしいことがあります。
今日は、どうしてもそのことをお伝えしたくて記事を書きました。
ぜひご覧下さい。
変形性股関節症と正しく向き合う会の代表理事、井口です。
ここ最近特に多いのが、お医者さん選びについての相談です。
特に手術を考えられている方にとって、お医者さん選びは最も重要なポイント。
主治医次第で今後のアナタの人生が大きく変わります。
ただ、相談を受ける中で感じるのが「主治医を選ぶときに押さえるべき内容が十分に知られていない」という現実。
そこで今日は、主治医を選ぶときに知っておくべき内容をまとめました。
重要な内容ですので、ぜひご覧下さい。
変形性股関節症と正しく向き合う会の代表理事、井口です。
最近痛感するのが「股関節の筋力強化+股関節ケアの重要性」。
先日のブログ記事でもお伝えしたのですが、やはり、変形性股関節症の闘病には筋力強化と股関節ケアの両輪が欠かせません。
そして、股関節ケアにアロマが効果的であることも、少しずつではありますが認識されているように感じます。
今日は、両輪の一つである股関節ケアを最も効果的に実現する手段の一つである「メディカル・アロママッサージ」についてまとめます。
変形性股関節症とうまく付き合うために、ぜひご覧ください。
変形性股関節症と正しく向き合う会の代表理事、井口です。
実母(現在86歳)が住むようになって今年で9年目。
最初の頃は、週に3回ぐらい訪問し、お茶を飲みながら話し相手をしていました。
週末には、一緒に買い物にも行っていました。